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関東州【かんとうしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

関東州
かんとうしゅう
中国の遼東半島南部にあった日本の戦略的租借地旅順大連の二つの港湾軍港を含み,面積は 3367km2。1898年にロシアが 25年の期限でこの地を中国から租借。日露戦争後,1905年ポーツマス条約に基づいて日本がこの地域における鉄道・港湾などの諸権益を引き継いだ。1915年の二十一ヵ条要求によって租借期限が 99年間となり,1932年以後は「満州国」から借することになり,日本の満州国進出の拠点となった。第2次世界大戦後,ソビエト連邦占領されたが,1950年の中ソ友好同盟相互援助条約により中国返還された。同条約の付帯規定によって,一時ソ連が旅順口海軍基地を中国と共同使用したが,1955年中国に返還。在は大連市に属している。

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デジタル大辞泉

かんとう‐しゅう〔クワントウシウ〕【関東州】
中国、遼東(りょうとう)半島の西南端にあった日本の租借地。日露戦争後、明治38年(1905)のポーツマス条約ロシアから利権を譲り受けたが、昭和20年(1945)太平洋戦争に敗北すると、ソ連軍が再び占領。中国には1950年に返還された。

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世界大百科事典 第2版

かんとうしゅう【関東州】
遼東半島(現,中国遼寧省旅大地区)にあった日本の租借地。関東州の地名は山海関の東を意味し,遼東半島の旧ロシア租借地に日本が名付けたもの。日露戦争に勝利した日本は,1905年9月調印のポーツマス条約でロシアの租借権を継承し,同年12月の日清善後条約で清国政府の承認をえた。ロシアの租借権は,1898年の遼東半島租借に関する露清条約で期限25年と定められていたが,1915年日本の対華二十一ヵ条要求により期限は99年に延長された。

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大辞林 第三版

かんとうしゅう【関東州】
中国、遼寧省の遼東半島南部にあった日本の租借地。現在の大連市一帯。日露戦争後、1905年(明治38)日本がポーツマス条約によりロシアより租借地の利権を引き継いだが、45年(昭和20)太平洋戦争の末期にソ連が占領し、50年中国に返還された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

関東州
かんとうしゅう
中国東北、遼東(りょうとう)半島最南端で、旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)・金州(きんしゅう)などの都市を含む地域。1905年(明治38)9月のポーツマス条約により、日本がロシアから引き継いだ租借地で、中国では旅大租借地とよんだ。日清(にっしん)戦争後の下関(しものせき)条約(1895)でいったん日本が領有したが、露・独・仏の三国干渉で清国に有償返還、ロシアが干渉の成果として租借した。しかし日露戦争の勝利により、日本がロシアの租借権を引き継ぎ、以後日本の満州支配の橋頭堡(きょうとうほ)となった。ロシアの租借権は1898年に25年の期限で改定されたものであったが、日本は1915年(大正4)の対華二十一か条要求で、期限を99年延長させた(満期は1997年)。当初の日本の統治機関は、日露戦争中の軍政を引き継ぎ1906年に設置された関東都督府で、軍事的性格が強く、都督には軍隊指揮権をもつ陸軍大・中将が就任した。19年の官制改革で関東都督府は廃され、関東軍と関東庁に分離し、文官の関東長官は、関東州の管轄、南満州鉄道の警護のほか、必要に応じて関東軍司令官に兵力の使用を要請できることになった。しかし関東庁の行政権限と関東軍の権限の境界は錯綜(さくそう)しており、両者の摩擦がしばしばみられ、対満国策不統一の非難を浴びた。
 満州事変勃発(ぼっぱつ)(1931)後は関東軍の支配力が強化され、1934年(昭和9)の在満機構改革で、駐満大使兼関東軍司令官が長官となる関東局が置かれ、この指揮下にある関東州庁が行政を担当した。日本の敗戦によりソ連が同地を占領後、50年の中ソ友好同盟相互援助条約の締結により中華人民共和国に返還された。[粟屋憲太郎]

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精選版 日本国語大辞典

かんとうしゅう クヮントウシウ【関東州】
中国、遼東半島南端部の旧称。大連、旅順、金州を含む地域。第二次大戦終結前は、日本の租借地であった。
※東京朝日新聞‐明治三六年(1903)一〇月二日「軍務部に於て関東州の駐在官に重きを置き」

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旺文社世界史事典 三訂版

関東州
かんとうしゅう
中国,旧満州の遼東 (りようとう) 半島南部にあった日本の租借地
日露戦争後のポーツマス条約で日本はロシアの遼東半島南部の租借権を獲得すると,1905年関東州と名づけた。1898年の露清条約では租借の期間は一応25年であったが,日本は,1915年の南満州,内モンゴルに関する条約で,99年に延長した。南端の大連が南満州鉄道の終着点であり,日本の南満州支配の基盤であった。第二次世界大戦後,ソ連に占領され,1950年の中ソ友好同盟相互援助条約により中国に還付された。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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旺文社日本史事典 三訂版

関東州
かんとうしゅう
1905〜45年までの満州遼東半島南端の日本租借地
遼東半島は日清戦争で清国より割譲されたが,三国干渉で返還。日露戦争後,ポーツマス条約によりロシアの旅順・大連を含む関東州の租借権を継承した。1915年,租借期間を99年に延長。日本の大陸進出の前進基地であったが,敗戦後,中国に返還された。

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