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関鉄之介【せき てつのすけ】

美術人名辞典

関鉄之介
幕末の水戸藩士。名は遠、は士任、号は錦堆・楓巷、変名を三好貫一郎。金子孫二郎、高橋多一郎ら藩内尊攘派と行動を共にする。安政大獄を憤り、桜田門外の変で大老井伊直弼を撃した。文久2年(1862)歿、39才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

関鉄之介 せき-てつのすけ
1824-1862 幕末の武士。
文政7年10月17日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。安政の大獄をおこした大老井伊直弼(なおすけ)の暗殺を計画し,指揮者となって実行(桜田門外の変)。のち越後(えちご)(新潟県)で捕らえられ,文久2年5月11日江戸で処刑された。39歳。名は遠。字(あざな)は士任。号は錦堆,丹楓,蘭室,桜園。変名は三好貫之助。著作に「南遊遣悶(けんもん)集」。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

せきてつのすけ【関鉄之介】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

関鉄之介
せきてつのすけ
(1824―1862)

江戸末期の水戸藩士。名は遠、士任と号す。城下水戸の生まれ。藩校弘道館(こうどうかん)に学んで、1856年(安政3)北郡奉行所(ほくぐんぶぎょうしょ)に勤め、大子(だいご)郷校の建設と農兵の組織などに努める一方、尊攘(そんじょう)運動に身を挺(てい)する。58年安政(あんせい)の大獄で、尊攘派志士への弾圧が始まると、大老井伊直弼(なおすけ)の暗殺計画を同志の高橋多一郎、金子孫二郎らと謀った。60年(万延1)3月、実行隊長として桜田門外に井伊を暗殺。のち逃れて常陸(ひたち)(茨城県)袋田村の豪農桜岡家、高柴(たかしば)村の益子(ましこ)家などにかくまわれるが、そこからさらに逃走の途中、越後(えちご)(新潟県)雲母(きら)温泉で捕らえられ、江戸で処刑された。著書に『西海転蓬(てんぽう)日録』『南遊遣悶(けんもん)集』などがある。

[佐久間好雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
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367日誕生日大事典

関鉄之介 (せきてつのすけ)
生年月日:1824年10月17日
江戸時代末期の尊攘派水戸藩士
1862年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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