●阿倍内麻呂【あべのうちまろ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
阿倍内麻呂
あべのうちまろ
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世界大百科事典 第2版
あべのうちまろ【阿倍内麻呂】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
阿倍内麻呂
あべのうちまろ
(?―649)
最初の左大臣。一名倉梯麻呂(くらはしまろ)。蘇我入鹿(そがのいるか)が殺され孝徳(こうとく)天皇が即位するとただちに左大臣に任命され、大化改新の枢機に参画した。しかし積極的に革新的政策を打ち出したかどうか疑わしい。その女(むすめ)小足媛(おたらしひめ)は孝徳即位前にその妃となっていたので、臣下の長老として徳望から左大臣に任ぜられたものであろう。648年(大化4)に四天王寺に僧尼を請(しょう)じ4躯(く)の仏像を迎え塔内に安置し、霊鷲山(りょうじゅせん)の像をつくった。大鳥大臣と号した。
[横田健一]
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旺文社日本史事典 三訂版
阿倍内麻呂
あべのうちのまろ
改新政府の左大臣
倉梯麻呂ともいう。娘は孝徳天皇の妃で,有間皇子を生んだ。大化の改新後,改新政府の左大臣となり,右大臣蘇我倉山田石川麻呂とともに国政に参画。穏健派豪族の長老として重要な地位を占めた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
阿倍内麻呂 あべのうちの-まろ
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