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阿坂城跡【あざかじょうあと】

国指定史跡ガイド

あざかじょうあと【阿坂城跡】

三重県松阪市大阪坂町にある城跡。指定名称は「阿坂城跡 附高城跡(つけたりたかじょうあと) 枳城跡(からたちじょうあと)」。旧松阪市と旧一志(いちし)郡嬉野(うれしの)町との境界に近い、標高約300mの丘陵頂部に築かれた山城が阿坂城で、その東麓にこの2つの城跡がある。阿坂城は北畠満雅(きたばたけみつまさ)が築城し、南北300m、東西150mの範囲におよぶ。南北2つの曲輪(くるわ)からなり、台状地の南曲輪は、1415年(応永22)に北畠氏が足利幕府軍を迎え撃った戦いで幕府軍による水断ちの難にあった際、満雅が馬の背に白米を流して水が豊富にあるように見せかけ、敵をあざむいて退却させたという伝説から白米城の別名がある。その後、1569年(永禄12)に織田信長が大河内(おおこうち)城に居城する北畠具教(とものり)を攻略するため大軍を発し、北畠氏の重臣、大宮氏の守る阿坂城を木下藤吉郎らによって攻め落としている。以後、阿坂城は使用されることなく廃城となった。北曲輪は帯曲輪をめぐらせた少し複雑な構造で、椎ノ木(しいのき)城とも呼ばれる。『南方紀伝』によると、阿坂城には「両出城」があったと記されており、現存する小阿坂町の枳城と大阪坂町の高城跡と考えられているところから、1982年(昭和57)に同時に国指定史跡になった。枳城跡は阿坂南曲輪に似た構造、高城跡は土塁と虎口のある堅固な造りである。阿坂城と枳城は南北朝期の特徴があり、高城は戦国期に改修されたことが明らかである。阿坂城跡へは、JR紀勢本線ほか松阪駅から三重交通バス「岩倉口」下車、徒歩約55分。

出典:講談社
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