●陰陽五行説【いんようごぎょうせつ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
陰陽五行説
いんようごぎょうせつ
Yin-Yang wu-xing shuo
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デジタル大辞泉
いんようごぎょう‐せつ〔インヤウゴギヤウ‐〕【陰陽五行説】
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陰陽五行説
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世界大百科事典 第2版
いんようごぎょうせつ【陰陽五行説 yīn yáng wǔ xíng shuō】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
陰陽五行説
いんようごぎょうせつ
古代中国の世界観の一つ。陰陽説と五行説とは、発生を異にする別の思想であったが、戦国末以後、融合して陰陽五行説となり、とくに漢代の思想界に大きな影響を及ぼした。陰陽説とは、陰陽二気の消長により万物の生成変化を説く思想で、これが易(えき)に取り入れられてその基本原理となったが、陰陽は元来、山の日陰(ひかげ)、日向(ひなた)のことをさした。易はもと、剛と柔との組合せで生成変化を説いたが、のち剛柔にかわって陰陽が取り入れられ、これによって循環の思想が加わった。これは天体の運行や四季の推移から考えられたのであろう。
一方、五行説は、古代人の生活に必要な五つの素材、つまり民用五材の思想に基づく説である。生活に直接的な水火に始まり、木金に及び、その基盤をなす土に終わる。この水火木金土の次序は『書経(しょきょう)』の「洪範篇(こうはんへん)」にみえ、生成五行という。この五材説に対し、戦国中期の陰陽家、鄒衍(すうえん)の唱えたのが土木金火水という、後からくるものが前にあるものに勝つという五行相勝(そうしょう)(相剋(そうこく))による五徳終始説である。また、天文暦数の学と関連をもつ『礼記(らいき)』の「月令(がつりょう)篇」には、四時や四方の観念によって木火土金水、すなわち前にあるものから後のものを生ずるとする五行相生(そうせい)の次序が記され、多くの配当がなされている。五行の「行」は「めぐる」で流行、運行することであり、「五」は五星、五色、五味、五声など多方面で行われた一つの思考の型である。これは人の片手の指の数からきたともいわれ、一つのまとまりを表す標準である(
)。この陰陽五行は、十干(じっかん)、十二支(じゅうにし)、六十四卦(か)および天一、地二などの数と結び付き、それに災異説や讖緯(しんい)説などと互いに影響しあって変化し、迷信禁忌の色彩を濃くし、その後の民間信仰のなかに入っていった。また、日本にも伝わり陰陽道(おんみょうどう)を成立させた。
[中村璋八]
科学史からみた陰陽五行説
陰陽五行説は、未熟な手法ながら、日常経験からの帰納により生まれたもので、当初は、自然やそのなかの存在である人間について理解するための、一種の素朴な科学的仮説でもあり、古代ギリシアの自然学に匹敵するものであった。
二つの対立物による自然の解釈も古代ギリシアでも行われたが、さらに、陰陽が太極から分かれたとして二元論を一元論に還元することや、天地、上下、円と方(四角形)、奇数と偶数など対(つい)をなすさまざまな物や概念をそれぞれ陽と陰に振り分け、同じ側に属するものどうしを互いに対応させる思考様式なども、それぞれ、アナクシマンドロスのアペイロンやピタゴラス学派の説を連想させる。
しかし西洋の対立概念が互いに相いれない厳しい対立であるのに対し、陰陽の場合は互いに相補的・相対的関係をなすものである。
陰陽二元では説明しにくい現実世界の多様な存在や現象に対しては、より具体的でより多くの要素からなる五行説のほうが都合がよい。種々の概念・対象をいくつかずつに分類して、それぞれを
のように五行の一つ一つに配当し(配当の仕方は文献によりかならずしも一致しない)、同じ五行に属するものどうしを対応させ、異なる五行に属するものとの関係をもとの五行の性質と機能とにより解釈した。古代ギリシアの四元素説における元素は万物を構成する基本物質としての色合いが濃く、それにとってかわった近代的な元素説や原子論もそのような具体的な基本物質の追求から生まれたのに対し、五行の場合はむしろ性質や機能の面が重視されるようになり、抽象的・形而上(けいじじょう)学的議論しかなされなくなったことが近代的物質観が生まれなかった一因かもしれない。
西洋医学には四元素説にヒントを得たと思われる四体液説があったが、中国では陰陽説についで五行説が医学・生理学的現象の説明に導入された。これが一般思想への五行説の浸透を促したと考えられる。
[宮島一彦]
『島邦男著『五行思想と禮記月齢の研究』(1971・汲古書院)』▽『中村璋八著『五行大義』(1973・明徳出版社)』▽『J・ニーダム著、吉川忠夫他訳『中国の科学と文明 第2巻 思想史 上』(1974・思索社)』▽『藪内清著『中国文明の形成』(1974・岩波書店)』▽『根本幸夫・根井養智著『陰陽五行説 その発生と展開』(1991・薬業時報社)』▽『稲田義行著『現代に息づく陰陽五行』(2003・日本実業出版社)』
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精選版 日本国語大辞典
いんようごぎょう‐せつ インヤウゴギャウ‥【陰陽五行説】
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旺文社世界史事典 三訂版
陰陽五行説
いんようごぎょうせつ
戦国時代に発生し,秦・漢代に大成したのが陰陽説で,天地間の万物の形成は,相対した性質を有する二元(陽と陰)が盛衰することにもとづくとした。日・春・南・昼・男・君・上は陽,月・秋・北・夜・女・臣・下が陰。陰陽説に影響されて宇宙生成を説くのが五行説で,天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水をまた万物組成の元素とし,木・火は陽に,金・水は陰に,土は中間にあるとして,これらの消長によって天地の変異・災祥・人事などの吉凶・禍福を論ずる。この両説を1つにしたのは鄒衍 (すうえん) ・鄒奭 (すうせき) で,前漢末期には天文・暦・占いと結びついて宇宙・人間界・世界および王朝交代など,森羅万象 (しんらばんしよう) の変化の理論づけを確立させた。
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