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陳炯明【ちんけいめい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

陳炯明
ちんけいめい
Chen Jiong-ming; Ch`ên Chiung-ming
[生]光緒1(1875)
[没]1933
中国,民国期の軍閥。広東省海豊県の人。字は競存。広州師範,広東法政学堂出身。清末には広東諮議局議員であったが,宣統2 (1910) 年黄興らと総督官署を襲撃した。辛亥革命ののち,広東副都督。 1913年都督。第二革命で龍済光に追われ,第三革命では岑春けんらと広東を奪回福建に進出した。 20年岑らを追い,孫文を擁して広東軍政府を組織したが,22年クーデターで孫文を追い,以後孫文と対立抗争した。イギリスと結んだが,25年東江戦で広東国民政府に討伐され蟄居した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

ちんけいめい【陳炯明 Chén Jiŏng míng】
1878‐1933
中国の軍閥。字は競存。広東省海豊県の人。清末の秀才の出身。1909年(宣1),広東省の諮議局(地方議会)議員に推薦されるとともに中国同盟会にも入会した。辛亥革命後は広東省政府の要職につき,軍事を掌握した。のち孫文の護法運動に参加したが,陳炯明の参加は連省自治構想に基づく彼自身の広東平定にその動機があった。それゆえ,広東における軍事支配が確立されると,22年6月,陳炯明は孫文を裏切った。のち蔣介石の国民革命軍に敗れ,政治の表舞台から消えるのだが,彼の生涯は揺れ動く中国近代をある意味で象徴しているといえよう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

陳炯明
ちんけいめい / チェントンミン
(1878―1933)

中華民国の軍閥。字(あざな)は競存(きょうぞん)。広東(カントン)省海豊県の人。広東師範学校、広東法政学堂に学んだ。清(しん)末に広東諮議局(しぎきょく)議員、1910年に黄興らと広州の総督衙門(がもん)を襲撃、失敗して香港(ホンコン)に亡命した。辛亥(しんがい)革命に際し胡漢民(こかんみん)らと恵州に挙兵し、広州を攻略。胡のもとで広東副都督となった。第二革命失敗後、北洋軍閥系の龍済光(りゅうせいこう)に追われ亡命。第三革命に際し、雲南、広西の討袁(えん)(袁世凱(せいがい))軍に協力し、広東を回復した。1920年「広東人の広東」のスローガンを掲げて広西派を追い、広東省長に任命され、孫文(そんぶん)と第二次広東軍政府をつくった。しかし、呉佩孚(ごはいふ)と結ぶなど軍閥色を強めたため、1922年孫文により省長の職を解かれた。同年6月クーデターを起こして広州を奪回し、翌1923年1月雲南・広西軍、孫文直系軍の攻撃を受けて恵州に追われ、イギリスの後援を得て孫文の広東政府と対立したが、1925年広東政府の二度の東征に敗北し、政治生命を失った。

[石島紀之]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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