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陳独秀【ちんどくしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

陳独秀
ちんどくしゅう
Chen Du-xiu
[生]光緒5(1879).10.8. 安徽,懐寧
[没]1942.5.27. 四川,江津
中国共産党初期の指導者。浙江の求是学院卒業後,日本の東京高等師範学校速成科を卒業。帰国して新聞,雑誌の創刊にたずさわったのちフランスに留学。帰国後,辛亥革命に参加し,安徽省政府の教育司長となった。 1913年第二革命後は上海に逃れ,14年『甲寅雑誌』,15年『青年雑誌』 (1916年『新青年』と改題) を発刊し,儒教批判,文学革命を提唱して新文化運動の先頭に立った。 17年蔡元培に招かれて北京大学文科科長となり,李大しょう胡適らとともに新文化運動を推進したが,マルクス主義に接近し北京大学を追われた。上海でコミンテルン代表 G.ボイチンスキーと会い,その援助で 20年中国社会主義青年団を組織した。 21年中国共産党を結成し総書記となり,27年まで党の指導権を握った。不本意にも第1次国共合作に踏切るが,土地革命推進と国共合作維持との矛盾に苦しみ,27年の蒋介石の上海クーデター後は労働者農民の武装闘争を極力押えようとする日和見主義に終始したため,8月八・七緊急会議で批判されて党指導者の地位を追われ,次いで党総書記を罷免され,29年トロツキストとして除名された。 32年国民党の警察に逮捕されて 37年まで入獄。釈放後,トロツキズム運動からも離れ,抗日統一戦線を支持する立場に立った。著作集に『独秀文存』がある。

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デジタル大辞泉

ちん‐どくしゅう〔‐ドクシウ〕【陳独秀】
[1879~1942]中国の思想家・政治家。懐寧(安徽(あんき)省)の人。字(あざな)は仲甫(ちゅうほ)。1915年、上海で雑誌「青年雑誌」(翌年新青年」と改題)を創刊し、旧文化・旧道徳を批判。1918年、李大釗(りたいしょう)と「毎週評論」を創刊して新文化運動を指導。1921年、中国共産党が成立すると初代総書記となったが、1929年にトロツキストとして除名された。著「独秀文存」。チェン=トゥーシウ。

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チェン‐トゥーシウ【陳独秀】

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世界大百科事典 第2版

ちんどくしゅう【陳独秀 Chén Dú xiù】
1879‐1942
中国の革命家。号は実庵。安徽省懐寧出身。活動内容からいえば彼の生涯は民族主義者(1900‐12),民主主義者(1913‐20),社会主義者(1921‐28),さらにトロツキスト(1929‐)の4期に分かれるが,中国の社会と政治に最も大きな影響を与えたのは,急進民主主義者として五・四運動期の新文化運動を指導した第2期,そして中国共産党を創立し指導した第3期である。青年時代には反清の革命家として新聞記者,愛国会,秘密結社岳王会等の組織者として活動したが,辛亥革命の失敗が明らかとなってからは,それまでの会党式の組織方法による革命への反省から,国民の文化思想面での革新へと方向を転じた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

陳独秀
ちんどくしゅう / チェントゥーシウ
(1880―1942)

中国の革命家、思想家。安徽(あんき)省懐寧(かいねい)出身。日本に留学し、東京高等師範学校速成科を卒業。東京で中国同盟会に入り、帰国後、口語(こうご)の新聞を発行した。1911年の辛亥(しんがい)革命に参加したが、一時、日本に亡命、1915年上海(シャンハイ)に帰り『青年雑誌』を創刊(翌年『新青年』と改題)。1916年北京(ペキン)大学教授となる。1918年に李大釗(りたいしょう)と『毎週評論』を創刊して新文化を提唱し、マルクス主義を宣伝して、五・四運動時期の急進的民主派となった。1920年上海で共産主義グループを組織し、1921年7月に中国共産党が成立すると、五・四運動時期におけるその名声により党の総書記に選出された。

 第一次国内革命戦争の後期、陳独秀の代表する右翼日和見(ひよりみ)主義思想によって党内に投降主義路線が形成され、その結果、蒋介石(しょうかいせき)の四・一二クーデター(上海クーデター)を許すに至った。1927年8月7日の共産党緊急会議で総書記の職務を解かれたが、なお誤った政策をとり続けた。その後、革命の前途に失望し解党主義者となるとともに、トロツキストと結託して反共産党組織をつくった。1929年11月共産党から除名。同年12月彭述之(ほうじゅつし)など81名と語らい「政治意見書」を発表、中国共産党と紅軍に反対した。1931年に国民党に捕らえられて入獄、1937年8月釈放後はもっぱら共産党攻撃を行い、1942年に病死した。長らく変節者として悪名高かったが、1980年代に至り、一部にその功罪を客観的に評価すべきだという意見も出た。文集に『独秀文存』などがある。

[山下龍三]

『坂元ひろ子編『新編 原典中国近代思想史 第4巻――世界大戦と国民形成』(2010・岩波書店)』

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精選版 日本国語大辞典

ちん‐どくしゅう ‥ドクシウ【陳独秀】
中国の政治家・思想家。「青年雑誌」(後の「新青年」)を創刊し、文学革命を主張して五・四運動の指導者となった。一九二一年李大釗(りたいしょう)らと共産党を結成し、中央委員長・総書記になったが、後に除名された。著に「独秀文存」など。(一八七九‐一九四二

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