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陸羯南【くが かつなん】

美術人名辞典

陸羯南
明治時代のジャーナリスト・評論家本名実、羯南は号。津軽藩士中田謙斎の次男。『東京電報』・新聞日本』の創刊者で、社長兼主筆となり、言論界の代表的存在となった。著書に『羯南文集』『羯南文録』等がある。明治40年(1907)歿、51才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

くが‐かつなん【陸羯南】
[1857~1907]新聞人・評論家。青森の生まれ。本名、中田。新聞「日本」を創刊し、日本主義・国民主義立場から政治批判を展開羯南文集」「羯南文録」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

陸羯南 くが-かつなん
1857-1907 明治時代の新聞記者。
安政4年10月14日生まれ。内閣官報局勤務ののち,明治21年谷干城(たてき)らの援助をうけ,新聞「東京電報」を創刊。22年同紙を「日本」に改題,39年まで社長兼主筆をつとめ,一貫して国民主義の論陣をはった。明治40年9月2日死去。51歳。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)(青森県)出身。司法省法学校中退。旧姓は中田。本名は実。著作に「近時政論考」「原政及国際論」など。
格言など】民の声は必ずしも音あるにあらず,音あるものまた必ずしも民の声にあらず(「無音の声」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

くがかつなん【陸羯南】
1857‐1907(安政4‐明治40)
明治の新聞記者,国粋主義者。名は実,羯南は号。弘前藩下級士族中田氏の出,のち徴兵逃れのため陸姓を名のる。東奥義塾をへて1874年宮城師範学校に入る。76年中退,上京して司法省法学校に入るが,賄征伐(まかないせいばつ)に関連して79年原敬らとともに退学する。《青森新聞》,紋別製糖所に勤めた後,81年に上京,83年太政官文書局に入り,内閣制創設とともに内閣官報局編輯課長となる。この前後,井上毅らの知遇を得,フランスの反革命主義者J.M.deメーストルの書物を《主権原論》ので翻訳出版する。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

くがかつなん【陸羯南】
1857~1907 新聞記者。名は実。津軽藩出身。新聞「日本」を創刊し、国民主義の立場で政府批判の政治論説に健筆をふるった。著「羯南文集」「近事政論考」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

陸羯南
くがかつなん
[生]安政4(1857).10.14. 弘前
[没]1907.9.2. 鎌倉
ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾,司法省法学校を経て,太政官の官吏となったが,伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。 1888年から『東京電報』 (それまでの『東京商業電報』を改題した新聞) を主宰した。翌 1889年2月 11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも,日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

陸羯南
くがかつなん
(1857―1907)
明治中期の代表的な言論人。本名実(みのる)。安政(あんせい)4年10月14日、陸奥(むつ)国(青森県)弘前(ひろさき)に生まれる。司法省法学校退校後、『青森新聞』編集長、北海道での官吏、太政官(だじょうかん)文書局、内閣官報局編輯(へんしゅう)課長を経て、1889年(明治22)新聞『日本』を創刊し、社主兼主筆となる。欧化主義に対して、雑誌『日本人』(政教社)の三宅雪嶺(みやけせつれい)らと国粋主義を主張し、徳富蘇峰(とくとみそほう)らの民友社と明治20年代の言論界を二分した。『近時政論考』で維新後の政治思想の変遷を論じて、自己の立場を「国民論派」とし、世論政治の実現を目ざした。また、対外的には大隈(おおくま)条約改正案反対運動の急先鋒(きゅうせんぽう)となり、東邦協会、国民同盟会に参画し、谷干城(たにかんじょう)、近衛篤麿(このえあつまろ)のブレーンとして対外硬派を形成した。生涯、新聞記者の使命というものをもっとも強く自覚して、政府や政党に一線を画し、政治的リアリズムに徹した論調を展開した。正岡子規(まさおかしき)の文学活動を全面的に後援し、鳥居素川(とりいそせん)、長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)らの言論人を育成した。明治40年9月2日没。墓所は東京・染井墓地。[佐藤能丸]
『西田長寿他編『陸羯南全集』全10巻(1968~1985/オンデマンド版・2010・みすず書房) ▽松本三之介編『政教社文学集』(『明治文学全集37』1980・筑摩書房) ▽丸山真男「陸羯南と国民主義」(『民権論からナショナリズムへ』所収・1957・御茶の水書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

くが‐かつなん【陸羯南】
新聞記者。評論家。本名中田実。津軽藩(青森県)出身。司法省法学校中退。明治二二年(一八八九)新聞「日本」を創刊して社主となり、社説、評論を執筆。藩閥政治、官僚主義に反対し、立憲政治にたつ国民主義を唱えた。著に「近時政論考」「原政及国際論」など。安政四~明治四〇年(一八五七‐一九〇七

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

陸羯南
くがかつなん
1857〜1907
明治時代の新聞記者・政治評論家
本名は実。陸奥(青森県)の生まれ。司法省法学校中退。1883年太政官文書局,'85年内閣官報局に勤務。欧化政策に反対して官を辞し,'89年新聞『日本』を創刊。藩閥政府・民党のいずれとも妥協せず,国民主義を唱え,国民の統一と国家の独立を主張した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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