@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

雍正帝【ようせいてい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

雍正帝
ようせいてい
Yong-zheng-di; Yung-chêng-ti
[生]康煕17(1678).10.30. 北京
[没]雍正13(1735).8.23. 北京
中国,清朝の第5代皇帝 (在位 1723~35) 。名は胤しん (いんしん) 。諡は憲皇帝。廟号は世宗。年号は雍正。康煕帝の第4子で和碩雍親王となり,次いで継位争いのさなかに即位した。即位後ただちに継位を争った允し (いんし) ,允とう (いんとう) を庶民に下し,権臣の年羹堯 (ねんこうぎょう) ,ロンコド (隆科多)らを粛清王族,権臣の権力基盤であった八旗制に改変を加えて独裁権力の確立に努めた。その政策は厳格であり,地方長官の総督巡撫を直接統治する奏摺制度を実施し,従来の内閣を有名無実化して,のちには軍機処創設するにいたった。地方官には不正を行うことのないように養廉銀を給し,地方の賤民の戸籍を改め,辺境ミヤオ (苗) 族を統治下に入れる改土帰流政策を展開し,豊かな財政を背景に丁賦 (人頭税) を廃して地銀に繰入れる地丁銀制を促進するなどの内治に努めた。また皇太子問題で懲りた帝は,皇太子は立てるが公表しないという皇太子密建法を施行し,これにより乾隆帝が即位した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ようせい‐てい【雍正帝】
[1678~1735]中国、の第5代皇帝在位1722~1735。諱(いみな)は胤禛(いんしん)、廟号(びょうごう)は世宗康熙帝の第4子。綱紀粛正、官制の改革税制の安定を図り、皇帝独裁権を強化。軍機処を創設。対外的には青海チベット平定

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ようせいてい【雍正帝 Yōng zhèng dì】
1678‐1735
中国,清朝第3代(入関前からいえば第5代)の皇帝。在位1723‐35年。名は胤禛,諡(おくりな)は憲皇帝,廟号(びようごう)は世宗。康熙帝の第4子で,帝位継承をめぐる抗争の末,46歳で即位,在位期間は短かったが,君主専制体制を確立するうえで力があった。官僚が皇帝に上奏するには,公式ルートを通じる題奏(題本)と直接,皇帝に密奏する摺奏(奏摺)の二つのルートがあったが,帝は後者を重んじ,地方官から積極的に情報を収集してみずから朱筆で意見を書き加えた(硃批(しゆひ)という)。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

雍正帝
ようせいてい
(1678―1735)

中国、清(しん)朝第5代皇帝(在位1722~35)。康煕(こうき)帝の第4子。名は胤(允)禛(いんしん)、廟号(びょうごう)は世宗、年号により雍正帝とよぶ。治世わずかに13年であったが、康煕帝60年の放漫政治の後を受け、官僚の綱紀を引き締めて皇帝独裁権を強化し、財政を改革し、清朝支配権を確立して、次の乾隆(けんりゅう)帝60年の治世に引き継いだその事業の歴史的意義は、高く評価されている。即位後、帝は、後継者を秘密裏に指名する太子密建(たいしみっけん)法を定め、皇太子をめぐる皇子間の争いを封じた。内政ではまず第一に、地方官が皇帝に直接意見を奏上する奏摺(そうしょう)制度、すなわち官僚の密告制度ともいうべきやり方を奨励し、官僚の党争、腐敗を厳しく取り締まったが、反面、官僚に対する勤務手当ともいうべき養廉銀(ようれんぎん)の制度も新設した。第二に、康煕末年より始められた税制上の一大改革である地丁銀の制度を全国的に施行した。第三に、改土帰流(かいどきりゅう)を行った。これは、辺境地域に住む少数民族の土司・土官制を、中央派遣の地方官統治に改める改革であった。第四に、山西の楽戸(がくこ)、浙江(せっこう)の惰民(だみん)、広東(カントン)の蛋民(たんみん)、安徽(あんき)の世僕(せいぼく)など賤民(せんみん)の解放を行い、第五に、文字の獄により、根強く残る反満思想を厳しく弾圧した。

 対外関係では、まずロプサン・テンジンを討伐して青海を属領とし、チベットには駐蔵大臣を置いて保護領とした。次にジュンガルでは、ガルダン・ツェレンの侵入をモンゴルのツェレンがよく防いだので、トシェト部を割いてサインノヤン部を新設し、ツェレンをハン(汗)に封じた。このとき中央に軍機処(ぐんきしょ)を設けたが、以後、民政も含めて軍機処が内閣にかわる政治の最高機関となった。またロシアとキャフタ条約を結んで、シベリアの国境を定め、貿易を開いた。さらに、康煕帝が優遇した西洋人宣教師の取締りを強化し、宮廷に仕える一部の者を除いてマカオに追放した。

[北村敬直]

『宮崎市定著「雍正帝――中国の独裁君主」(『アジア史論考 下巻』所収・1976・朝日新聞社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ようせい‐てい【雍正帝】
中国清朝第五代の皇帝(在位一七二三‐三五)。名は胤禛(いんしん)。廟号は世宗。康熙帝の第四子。綱紀の粛正、官制の改革によって集権制を徹底化し、税制の安定を図り、次の乾隆年間(一七三五‐九五)の繁栄の基礎を築いた。(一六七八‐一七三五

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

雍正帝
ようせいてい
1678〜1735
清朝の第5代皇帝,世宗(在位1722〜35)
君主独裁体制を強化したが,堅実な政治で民生を安定させ,地丁銀を全国的に実施して財政を健全化した。外征・外交は消極的だったが,ジュンガルを攻撃したとき臨時に設けた軍機処が,しだいに国政の最高機関として内閣に代わった。また1724年にはキリスト教布教を禁止して,朝廷奉仕者以外の宣教師マカオ追放。いっぽう,1727年にはロシアとキャフタ条約を結び,国境貿易をひらいた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

雍正帝」の用語解説はコトバンクが提供しています。

雍正帝の関連情報

関連キーワード

サブレ夫人ゴドフレーハレーホーホストラーテンラ・ロシュフコーフランス史(年表)仕込南蛮流

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation