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青ノ洞門【あおノどうもん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

青ノ洞門
あおノどうもん
大分県北西部,中津市北部の,山国川中流右岸にある洞門耶馬渓名所。 18世紀半ば,僧禅海が通行人難儀を救うため競秀峰山腹に 30年あまりのみをふるって開削したとされ,当時の長さは約 85mであったという。今日改修されて国道 212号線が 223mのトンネルで通じている。旧洞門の一部とあかり窓などが残っており,国道脇に探勝路が設けられている。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』はこの洞門開削に取材している。

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世界大百科事典 第2版

あおのどうもん【青ノ洞門】
大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある耶馬渓名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈渡し〉と呼ばれていた難所独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。《豊前志》によると1735年(享保20)開削を始め,16年の歳月を要して50年(寛延3)に開通したという。また,古川古松軒の《西国雑記》には石工を雇って洞門を掘り,完成後は1人4文,牛馬は8文の交通料をとっていたとあり,有料道路のさきがけともされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

青ノ洞門
あおのどうもん

大分県北部、中津市(なかつし)本耶馬渓町(ほんやばけいまち)曽木(そぎ)の青(あお)地区にある洞穴道。18世紀中ごろ、僧禅海(ぜんかい)による掘削前のこの地は、山国(やまくに)川に面した鎖渡しの難所で、足を踏み外して命を落とす者が後を絶たなかった。これを見かねた禅海が、洞門開削を決意、村人の嘲笑(ちょうしょう)をよそに30年もの間、集塊岩の山にのみを振るい、ついに完成させたという話は、菊池寛の『恩讐の彼方に(おんしゅうのかなたに)』で有名。しかし、1783年(天明3)この地を通った古川古松軒(ふるかわこしょうけん)の『西遊雑記』によると、禅海は近郷を勧化(かんげ)し、石工を雇って、洞門――東は120余間(約220メートル)、高さ1丈(約3メートル)、横幅9尺(約2.7メートル)、西は3間ばかり(約5.5メートル)――を掘り、所々に明かり取りの窓をあけ、完成後は、人4文、牛馬8文の通行料をとって100余両を集めたという。1906年(明治39)には日出生台(ひじゅうだい)へ向かう小倉野砲隊のため拡幅された。明かり窓と当時の道がわずかに残り、延長360メートルが県史跡に指定されている。国道212号に指定されていたが、対岸に新道ができた。近くに耶馬渓風物館がある。JR日豊(にっぽう)本線中津駅からバス30分。

[兼子俊一]

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精選版 日本国語大辞典

あお‐の‐どうもん あを‥【青ノ洞門】
大分県北西部、本耶馬渓(ほんやばけい)町曾木の山国川右岸にある洞穴道。一八世紀中頃、僧禅海が三十余年かかって掘削したと伝えられ、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の題材ともなった。

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