●青岸渡寺【せいがんとじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
青岸渡寺
せいがんとじ
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
せいがんと‐じ【青岸渡寺】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉プラス
青岸渡(せいがんと)寺
出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
せいがんとじ【青岸渡寺】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
青岸渡寺
せいがんとじ
和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦(なちかつうら)町にある天台宗の寺。那智山と号する。本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)。通称那智観音(かんのん)とよばれる。西国(さいごく)三十三所第一番札所。寺伝によれば、仁徳(にんとく)天皇の代、熊野浦に漂着したインド僧裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智大滝において観世音菩薩を感得し、現本堂の地に庵(いおり)を結び如意輪堂と称したのを開基とする。推古(すいこ)天皇(在位592~628)の代には大和(やまと)聖生仏(ひじりしょうぶつ)上人が参籠(さんろう)し、玉椿(たまつばき)の大木に如意輪観世音を彫刻して前の観音像を胎内に納めたという。以後、役行者(えんのぎょうじゃ)、最澄、空海、円珍、叡豪(えいごう)、範俊(はんしゅん)らの高僧が相次ぎ参籠し、のちにこの仏徳の師に裸形上人を加えて那智七先徳と称する。那智山は神仏習合の修験(しゅげん)道場として時代とともに隆盛を極め、最盛時に七堂伽藍(がらん)、子院36坊を有したという。本宮(阿弥陀(あみだ))、新宮(薬師)、那智(観音)の熊野三山は、現世と未来の二世にわたる信仰の対象となり、貴賤(きせん)を問わぬ多くの参詣(さんけい)者により「蟻(あり)の熊野詣(くまのもう)で」といわれた。皇室の尊崇も深く、なかでも花山(かざん)法皇は988年(永延2)、山中の二の滝前に庵をつくり円成(えんじょう)寺と号して3年間参籠した。織田信長の兵火で堂は焼失したが、豊臣(とよとみ)秀吉によって1587年(天正15)再建されたのが現本堂(如意輪堂、国重要文化財)である。明治期の神仏分離で廃寺となるが、1874年(明治7)に復興し、翌年天台宗比叡山延暦(ひえいざんえんりゃく)寺末となる。元亨(げんこう)2年(1322)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、1918年(大正7)に那智山経塚から発掘された金銅仏像八体が国重要文化財に指定されるほか、元亨4年銘の梵鐘(ぼんしょう)、秀吉寄進の大鰐口(わにぐち)など多くの寺宝を有する。
[中山清田]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
せいがんと‐じ【青岸渡寺】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「青岸渡寺」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●青岸渡寺の関連情報