●鬼室福信【きしつふくしん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
鬼室福信
きしつふくしん
Kwisil Poksin
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
鬼室福信 きしつ-ふくしん
義慈王の従兄弟(いとこ)。660年新羅(しらぎ)(朝鮮),唐(とう)(中国)に攻められ百済が滅亡すると復興をはかり,日本に人質となっていた王子余豊璋(よ-ほうしょう)の送還と援軍を要請し,豊璋を王位につけた。豊王3年6月内紛から豊璋に殺された。
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世界大百科事典 第2版
きしつふくしん【鬼室福信 Kwi‐sil Pok‐sin】
百済末期の武将。武王の甥。百済西部の人。官位は恩率,のち最高官位の佐平に至る。鬼室氏の祖。660年の百済滅亡後に起きた遺民による百済復興運動の中心人物として活躍。このとき鬼室を名のる。福信は660年僧道琛とともに任存城(大興)で挙兵,旧都泗沘(しひ)城(扶余)奪回を図った。同年日本の朝廷へ救援軍の派遣と,人質となっていた王子豊璋の送還を要請した。661年8~9月救援軍が派遣され,豊璋と軍需物資は周留城(錦江下流域)に拠った福信のもとへ送り届けられた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
鬼室福信
きしつふくしん
(?―663)
百済(くだら)末期の武将。義慈王の従兄弟(いとこ)。官位は恩率。660年(斉明天皇6)百済は唐・新羅(しらぎ)連合軍によって滅ぼされたが、その後も福信は故都泗沘(しひ)城(扶余(ふよ))奪回のために奮闘したので、国中の人が彼を尊敬したという。662年(天智天皇1)人質として日本にいた王子豊璋(ほうしょう)を王に迎え、百済再興を企てたが、形勢不利のまま翌663年、敵の讒者(ざんしゃ)の言を信じた豊璋王のために斬殺(ざんさつ)された。
[鈴木靖民]
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