@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

鳥居清長【とりいきよなが】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

鳥居清長
とりいきよなが
[生]宝暦2(1752).江戸
[没]文化12(1815).5.21. 江戸
江戸時代後期の浮世絵師。俗称は市兵衛。書店の白子屋市兵衛の子。鳥居清満門人となり師後に鳥居家4代目を襲名。安永期 (1772~80) 頃は主として鳥居風の役者絵 (→芝居絵 ) を描く。その後美人画に転じて清長風と呼ばれる長身で健康的な美人を描き,群像表現,風景との組合せや続き物によって,天明期 (81~88) の浮世絵界で活躍。美人画のほか役者絵,肉筆画,絵本,黄表紙なども描き続け,特に役者絵では出語りの人も描き込んだ「出語り図」という新様式を創案。主要作品『雛形若菜の初模様』 (82) ,『当世遊里美人合』 (81~83) ,『美南見十二候』 (84) ,『飛鳥山の花見』,出語り図『三代沢村宗十郎の平清盛,四代芳沢あやめの仏御前,三代市川八百蔵の悪七兵衛景清』 (80頃) ,肉筆画『品海遊宴』 (83~84頃) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

とりい‐きよなが〔とりゐ‐〕【鳥居清長】
[1752~1815]江戸後期浮世絵師。江戸の人。一説関口)。俗称、新助、のち市兵衛。初世清満に師事し、鳥居家4代目を継承。長身で健康的ないわゆる「清長風美人」を確立。代表作「風俗東之錦」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

鳥居清長 とりい-きよなが
1752-1815 江戸時代中期-後期の浮世絵師。
宝暦2年生まれ。江戸の本屋白子屋市兵衛の子。鳥居家3代の初代清満(きよみつ)にまなび,天明7年ごろ鳥居家4代をつぐ。大判の続き絵を考案し,役者絵のほか,長身で健康的な美人を群像形式でえがく美人画で知られる。文化12年5月21日死去。64歳。本姓は関(一説に関口)。通称は新助,市兵衛。作品に「当世遊里美人合」「柳下納涼図」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

とりいきよなが【鳥居清長】
1752‐1815(宝暦2‐文化12)
江戸中・後期の浮世絵師。江戸本材木町一丁目の本屋白子屋(しらこや)市兵衛の子。関氏(一説に関口氏),通称市兵衛あるいは新助。鳥居家3代目初世清満の門人で,清満の没後1787年(天明7)ころ,師家の4代目を継ぐ。はじめ清満風の役者絵や鈴木春信風の美人画を描くが,礒田湖竜斎感化を経て,天明年間(1781‐89)にいたり独自の様式を確立した。長身の美人を写実的な景観の中に群像としてとらえるその明るく健やかな風俗表現は,天明期の闊達な世相と粋好みの美意識をよく反映している。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

とりいきよなが【鳥居清長】
1752~1815 江戸後期の浮世絵師。姓は関口。鳥居清満に入門。「出語り図」といわれる技法で役者絵を描き、流麗な線描による独特な美人画で一世を風靡。代表作「風俗東之錦ふうぞくあずまのにしき」など。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

鳥居清長
とりいきよなが
(1752―1815)
江戸中期の浮世絵師。鳥居家4代目当主で、天明(てんめい)期(1781~1789)を代表する美人画家。江戸の本材木町一丁目の書肆(しょし)白子屋市兵衛の子で、関(一説に関口)氏、俗称新助、のち市兵衛。鳥居家3代目の初代清満(きよみつ)門人。1767年(明和4)ごろから鳥居派伝統の筆法を用いた細判紅摺絵(べにずりえ)の役者絵を発表。1775年(安永4)ごろからは美人風俗画の揃物(そろいもの)や、黄表紙(きびょうし)など版本の挿絵も精力的に描き出し、初め鈴木春信(はるのぶ)、のち礒田湖竜斎(いそだこりゅうさい)や北尾重政(しげまさ)の画風を吸収しながら、しだいに写生に基づく独自の様式を樹立、1781年ごろには湖竜斎にかわり美人画の第一人者となった。背高くすらりとのびやかな八等身の、健康的で生命力にあふれているのが清長美人画の特徴で、1782年(天明2)から1784年ごろに制作した『当世遊里美人合(とうせいゆうりびじんあわせ)』『風俗東之錦(あずまのにしき)』『美南見(みなみ)十二候』は、清長の三大揃物として高く評価されている。そしてこのころから制作されるようになった大判二枚続、三枚続という大画面にも意を注ぎ、江戸の実景を背景にして、女性群像を巧みに表現した秀作が多い。また一方では、舞台図に新様を開拓、複数の役者を大道具、小道具とともに描出して、緊迫感のある構成美を生み出した。とくに所作事(しょさごと)の場面を太夫(たゆう)と三味線弾きともども描写した出語図(でがたりず)には、他の追随を許さぬものがある。
 師の清満の死後、1787年ごろに懇請されて鳥居家4代目を継承してからは、鳥居家の家業である看板絵・番付絵に専念、一枚絵の制作から徐々に離れていった。また遺品は多くないが、『柳下納涼(りゅうかのうりょう)図』(ボストン美術館)などの肉筆画や絵本・艶本(えんぽん)にも優れた手腕を発揮している。勝川春潮(かつかわしゅんちょう)、窪俊満(くぼしゅんまん)など天明期の多くの絵師が清長様式を踏襲、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)ら次代の絵師に大きな影響を及ぼすなど、浮世絵美人画の流れのなかで歌麿とともに一つの頂点にたつ絵師として位置づけられている。[浅野秀剛]
『岡畏三郎解説『浮世絵大系4 清長』(1975・集英社) ▽楢崎宗重編『在外秘宝 鳥居清長』(1972・学習研究社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

とりい‐きよなが【鳥居清長】
江戸中期の浮世絵師。江戸の人。清満の門人。清満没後、鳥居家四代を継承。初め鳥居派風の役者絵、美人画を描いたが、しだいにのびやかな描線による清長独自の女性描写が確立され、その女性美は清長美人と俗称されている。代表作に「当世遊里美人合」「風俗東之錦」「美南見(みなみ)十二候」の三大揃物がある。宝暦二~文化一二年(一七五二‐一八一五

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

鳥居清長
とりいきよなが
1752〜1815
江戸後期の浮世絵師
相模(神奈川県)浦賀の人(一説に江戸の人)。江戸に出て書店を営み,鳥居清満の門に学び美人画に長じた。師清満の死後,養子となって鳥居家をついだ。卓越した技量もち,背景との調和にすぐれた美人画を描き盛名をはせた。代表作に『美南見 (みなみ) 十二候』『風俗東之錦 (ひがしのにしき) 』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

鳥居清長」の用語解説はコトバンクが提供しています。

鳥居清長の関連情報

関連キーワード

コンバウン朝タウングー朝談義本ナッシュアラウンパヤータウングー朝賀茂真淵(かもまぶち)滑稽本コンバウン朝堀景山

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation