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黒住教【くろずみきょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

黒住教
くろずみきょう
教派神道 13派の一つ。文化 11 (1814) 年備前岡山の黒住宗忠により開。宗忠の家は備前今村の今村宮の祠職で,彼もこれを継いで禰宜となったが,33歳のとき両親が相次いで病死,みずからもを病み3年ほど臥床した。その苦悩のなかで,一日天命を授かり,神人合一を体験し大悟して信仰を得たといわれる。アマテラスオオミカミを宇宙創造,万有化育の唯一神とし,人は無欲無我によって,アマテラスオオミカミと合一すべきことを説く。岡山藩士のなかに多くの信者を得,そのために特に迫害にもあわず,主として関西,九州に広まった。

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デジタル大辞泉

くろずみ‐きょう〔‐ケウ〕【黒住教】
教派神道の一。文化11年(1814)黒住宗忠創唱幕末にかけて教勢を広げ、明治9年(1876)一派独立。太陽神天照大神(あまてらすおおみかみ)を信仰の中心に置き、神人合一の境地を目ざす。本部は岡山市。

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世界大百科事典 第2版

くろずみきょう【黒住教】
教派神道の一派。1814年(文化11)に黒住宗忠が開教したもので,76年に独立教派として政府から認可された。黒住教は,幕藩体制の解体期に成立した民衆宗教のなかで,天理教,金光(こんこう)教に先行して教義を確立し,江戸末期に教団を形成した。72年に黒住講社として政府から認可され,76年に神道修成派とともに教派神道として別派独立を許可されて神道黒住派と称し,82年に神道黒住教と改称。教義は,教祖黒住宗忠の天命直授(じきじゆ)をふまえたもので,天照大神を万物根源となし,人間はその分身で,神人不二(ふに)とする。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

くろずみきょう【黒住教】
神道十三派の一。江戸末期備前の黒住宗忠が始めた。我を離れて天照大神あまてらすおおみかみと合一し、不生不滅の境地に達することを教えの根本とする。1876年(明治9)に一派として独立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

黒住教
くろずみきょう
神道(しんとう)教団。旧教派神道十三派の一つ。黒住宗忠(むねただ)を教祖とする。備前(びぜん)国今村宮(岡山県岡山市北区)の禰宜(ねぎ)宗忠が、1814年(文化11)34歳のとき得た宗教体験をもとに、講釈および禁厭(きんえん)(まじない)活動を行い、信者を得たのに始まる。初期は備前、美作(みまさか)(岡山県)の武士階級を中心に信者が形成されたが、宗忠の没後、石尾乾介(いしおけんすけ)(1775―1859)、河上忠晶(かわかみただあき)(1795―1862)、時尾宗道(ときおむねみち)(1817―1862)、赤木忠春(あかぎただはる)(1816―1865)、星島良平(ほしじまりょうへい)(1835―1878)、森下景端(もりしたけいたん)(1824―1891)のいわゆる六高弟を中心とする布教活動により、教線は中国、四国、近畿へと拡大していった。なかでも赤木は、京都布教において二条家、九条家など公卿(くぎょう)層の信頼を得、1862年(文久2)には神楽岡(かぐらおか)に宗忠神社を創建するに至っている。幕末から明治維新にかけて信者はいっそう増加し、1872年(明治5)に黒住講社が明治維新政府によって公認され、さらに1876年には、神道黒住派として教派神道のなかではもっとも早く一派独立し、宗忠の孫の黒住宗篤(むねあつ)(1848―1889)が初代管長に就任した。1882年に黒住教と改称して今日に至っているが、明治後半以降は、教勢は以前ほど振るわなくなった。天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心に置き、神道信仰に立脚しながら、布教・教化の方法が明確であったという意味において、もっとも教派神道の特質を備えていた教団の一つということができる。本部は岡山市北区尾上(おのうえ)。教会数316、布教所数13、教師数1491、信者数29万7545(『宗教年鑑』平成26年版)。ほかに神社が二つある。[井上順孝]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

くろずみ‐きょう ‥ケウ【黒住教】
〘名〙 教派神道の一つ。江戸末期、黒住宗忠によって開かれた。教義の中心をなすものは太陽信仰で、日神と我との神人合一と天地生々の霊気を感得することを説く。研究資料中、「黒住教教書」が最も重要なものとされている。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

黒住教
くろずみきょう
江戸末期におこった神道系宗教で,のち教派神道の一派
1814年岡山近在の神官黒住宗忠 (むねただ) (1780〜1850)が開教。天照大神 (あまてらすおおみかみ) を宇宙創造の神とし,積極的に天皇制を支持したので,'76年明治政府が公認し,教派神道の一つとされた。宗教生活の内容を平易に説いたため,明治維新後関西地方に広がった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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