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黒田孝高【くろだよしたか】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

黒田孝高
くろだよしたか
[生]天文15(1546).姫路
[没]慶長9(1604).3.20. 伏見
安土桃山時代の武将キリシタン大名。職隆の子。初名は孝隆。通称は官兵衛。法号は如水洗礼名ドン・シメオン。天正5 (1577) 年,豊臣秀吉中国征伐播磨に入ったときに彼に属し,秀吉の西国経営の参謀として活躍した。同 17年,子長政に豊前の所領 12万石を譲ったが,なおも秀吉に用いられ,朝鮮出兵にも参加した。秀吉後,石田三成と対立し,関ヶ原の戦い (1600) には長政を関ヶ原に出陣させ,みずからは豊前に残って大友義統を滅ぼし,三成派を一掃した。茶人としても有名。

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デジタル大辞泉

くろだ‐よしたか【黒田孝高】
[1546~1604]安土桃山時代の武将。播磨(はりま)の人。初小寺。通称官兵衛。法号、如水。織田信長に仕え、信長死後、羽柴秀吉の統一事業の参謀として活躍。秀吉の死後関ヶ原の戦いでは徳川方についた。キリシタン大名で、受洗名はドン=シメオン。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

黒田孝高 くろだ-よしたか
1546-1604 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)15年11月29日生まれ。黒田職隆(もとたか)の子。織田信長につかえ,のち豊臣秀吉の軍師として中国,四国,九州の攻略に功をたて,豊前(ぶぜん)中津(大分県)12万石をあたえられる。関ケ原の戦いでは子長政(ながまさ)とともに徳川方に属した。キリシタンで,洗礼名はドン=シメオン。慶長9年3月20日死去。59歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。前姓は小寺。通称は官兵衛。号は如水。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

くろだよしたか【黒田孝高】
1546‐1604(天文15‐慶長9)
織豊政権期の武将。名は官兵衛。勘解由次官,如水円清などを称す。一族は,播磨守護赤松氏や小寺氏に仕え,初め小寺姓を名のった。織田信長の中国進出にくみし,羽柴秀吉の参謀として軍略家の名をはせた。1578年(天正6)荒木村重が信長に背いたとき,説得に赴いたが失敗した。80年,播磨揖東郡内1万石を与えられたのを始めとして,数々の戦功により,九州征伐後の87年には,豊前6郡を領した。89年,剃髪して家を子長政に譲り,秀吉に近侍し,小田原征伐,文禄・慶長の役などおもに軍事面で活躍した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

黒田孝高
くろだよしたか
(1546―1604)

安土(あづち)桃山時代の武将。職隆(もとたか)の子。天文(てんぶん)15年11月29日、播磨(はりま)国(兵庫県)飾東(しきとう)郡姫路に生まれる。幼名万吉。官兵衛、勘解由(かげゆ)と称し、剃髪(ていはつ)して如水(じょすい)と号した。父職隆のとき播磨国守護赤松氏の一族小寺氏に属し、小寺姓を与えられて姫路城を預かった(孝高のとき黒田姓に復す)。天正(てんしょう)(1573~92)の初めごろ織田信長に通じ、1577年(天正5)中国攻略のため播磨に入った豊臣(とよとみ)秀吉を姫路城に迎え入れ、以後秀吉に属して中国攻略、四国攻略に従軍。87年(天正15)九州平定後、豊前(ぶぜん)6郡を与えられて中津に入った。89年44歳のとき隠居し、家督を長政(ながまさ)に譲ったが、その後も秀吉に従い軍師として活躍。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役にも従軍した。関ヶ原の戦いに際しては九州にあって大友義統(よしむね)を下し、豊前小倉(こくら)の毛利勝信(もうりかつのぶ)を攻め、島津氏を討つため筑後(ちくご)から肥後水俣(みなまた)に進んだ。戦後、長政が筑前一国を与えられたため福岡に移り、慶長9年3月20日京都伏見(ふしみ)で没した。博多(はかた)松原(福岡市)の崇福寺に葬る。キリシタン大名としても名高く、高山右近(うこん)に導かれて洗礼を受け、シメオンと称した。

[柴多一雄]

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367日誕生日大事典

黒田孝高 (くろだよしたか)
生年月日:1546年1月29日
安土桃山時代の武将;大名
1604年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

くろだ‐よしたか【黒田孝高】
安土桃山時代の武将。キリシタン大名。職高(もとたか)の子。初姓小寺。幼名万吉、のち祐隆、孝隆。通称官兵衛、勘解由(かげゆ)。道号如水(じょすい)。洗礼名シメオン。姫路の人。豊臣秀吉に仕え、山崎の合戦、九州征伐などに功をたて豊前中津一二万石を領する。文祿・慶長の役には渡海。関ケ原の戦いでは徳川方についた。法名龍光院如水円清。天文一五~慶長九年(一五四六‐一六〇四

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

黒田孝高
くろだよしたか
1546〜1604
安土桃山時代の武将
通称官兵衛,号は如水 (じよすい) 。長政の父。播磨(兵庫県)の人。織田信長に協力,のち豊臣秀吉に仕え豊前(大分県)中津12万石を領した。兵略にすぐれ隠居後もなお天下をとる気概をもった。またキリシタン大名としても有名で,洗礼名をドン=シメオンといった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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